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和歌山家庭裁判所 昭和43年(家)366号 審判

申立人 畑中健一(仮名) 外一名

主文

申立人の氏「畑中」を「西田」に変更することを許可する。

理由

申立人提出の除籍謄本、戸籍謄本、家畜商協会関係資料、申立人並びに畑中美千代、畑中昭二及び畑中美実の各陳述書を綜合すると、

(1)  申立人は、本籍和歌山県和○○市○○○○○番地亡西田信一と亡西田こうめ間の長男として出生したものであるが、母方の祖父母である畑中善一夫婦の長男幸吉が無頼の徒に交わり、家に寄りつかないため、上記夫婦に懇はれて、小学校二年生頃から同夫婦の許で養われることになり、尋常高等小学校高等科二年卒業後は専ら畑中家の家業である農業に従事して来た。その後善一が昭和一一年八月二八日死亡するや申立人は善一の遺言による指定家督相続人として、昭和一二年一二月一六日畑中家の家督を相続し、「畑中」を氏とすることになつた。

(2)  申立人は、昭和一四年現役入隊、昭和二〇年復員したのであるが、当時既に畑中家の祖母あぐりも死亡しており、その家産も上記幸吉によつて処分され皆無の状態となつていたため、申立人はやむなく生家に帰り実父母と同居、家業である農業に従事するかたわら家畜業にも手を出すようになつた。そしてその頃より申立人は実家である西田家に起居する関係から再び生家の氏である「西田」を呼称するようになり、爾来今日に至つている。

(3)  そして申立人は、終戦以来農業兼家畜商として手広く活動するほか、最近では酪農にも意欲をもやし、乳牛八頭を飼育し、農業の近代化と言う課題とも取り組んでいるが、かような対外活動においては、二〇数年にわたり今日まで「西田健一」として取引し、行動して来たものである。

以上の事実が認められる。

しかして、申立人が、西田家から「畑中」家の人となり、やがて生家である「西田」の氏を呼称するようになつた経緯、そして申立人が過去二〇数年余にわたり家畜商あるいは酪農経営者として営々と努力し、社会的、経済的生活の全領域において西田健一として現在の地位を築いて来たこと等の上記認定事実からすると、本件は戸籍法第一〇七条第一項にいわゆる「氏を変更するについてやむを得ない事由」がある場合に該当すると認めるのが相当である。

よつて、本件申立は理由があるので、これを認容し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 諸富吉嗣)

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